PROFILE

自己紹介

  • 名前:勝俣 泰斗(かつまた たいと)♂
  • 生年月日:1995年2月12日
  • 生まれ:神奈川県藤沢市
  • 育ち:宮崎県(5~18歳まで宮崎)
  • 高校卒業後:米ミズーリ州の大学入学→1年半後NY美大編入→1年後休学
  • 休学1年目:東京でゲストハウス・インバウンドツアー・Airbnb運営
  • 休学2年目:東京でイベントしたり、バーしたり、旅したり(⇦今ここ)
  • 特性:自堕落、妄想癖、人見知り、ピーターパン症候群、帽子被りがち
  • モットー:『とにかくやってみる』

勝俣泰斗のぼうけんのしょ

「ぼうけんのしょ」と題して、僕のストーリーを書いてみたいと思います。

お前そもそも誰!!??

って方ばかりだと思うんで、生誕直後からざっと振り返ってみようと思います。

それではいってみよう!!

1995年2月12日生まれ、宮崎育ちです。

幼いころからバレエやダンスを習い、NHKの子ども向けのTVに出演。雑誌「ラブベリー」の読者モデルとして活躍する傍ら、東京大学理科一類に現役で合格。その後オスカープロモーションに所属。大学1年次に、東京大学で行われるミス東大コンテストで準グランプリを受賞。現在はミュージカル等多数の場で活躍を続ける。

っていう幼稚園が一緒だった幼馴染の友達がいることが最近判明してびっくりしました勝俣泰斗です。。

「いや”自己”紹介をしろよ。」

ってなると思うんで、僕のストーリーに戻ります。

幼少期

気が弱く、病気がちで良く病院に行ってました。ちっちゃい頃は、おねしょがどうしても治らず、いつも落ち込んで、泣いて家族に迷惑ばかり。あんまり泣くもんなんで、母が「あの坂本龍馬もおねしょを良くしてたらしいから大丈夫よ。」と励ましてくれてからは、気を良くしてむしろ大胆におねしょを繰り返していました。

(どうでもいいけど、これはかなりコンプレックスだったんで、おねしょの情報は初公開レベルのマル秘話です笑)

思春期

中学高校の6年間はド田舎宮崎の山奥の学校で寮生活。山のてっぺんにある学校で、コンビニに行くにも山をくだって往復1時間半。自転車で行っても行きは早いのですが、帰りの坂がキツいんで、結果1時間半という、どうしようもないとこでした。TVもゲームもパソコンもケータイも禁止の厳しい寮で、定期テスト終わりには「ぱーッとカラオケでもいこうぜ!」なんて事にはならず、「ちょっくら裏庭に柿取りいこうぜ」って言って、”柿をとりベランダで干し柿にする”というのがテスト後の楽しみでした。卒業したときは友人と「刑期満了おめでとう」と言い合っていました。

モラトリアム期

コツコツ受験勉強するのが苦手で、高校3の時の成績を示す五角形のグラフがこの上なくいびつで、一教科だけ以上に長いという、いわば方位磁石みたいな形をしていました。(世界史だけはできました。)「これじゃどこも受かんねー」と開き直った僕は、進路相談室に行き担任の田中先生に自信満々で成績表を持っていきました。

たいと青年
先生!ご存知の通り、僕の成績は到底日本の大学に受かるものではありません。しかし、このグラフを見てください。これは成績を表したものではない。このいびつな五角形(方位磁石)は東の大地、つまりアメリカ大陸を差しているのです。
田中
・・・。いや、おまっ・・
たいと青年
つーことで、アメリカ行ってきまーす^0^)/

アメリカ留学期

もともと映画を勉強したいという目的もあって行ったアメリカ。ハリウッドで見たような輝かしいアメリカをイメージしていた僕は驚愕しました。僕がはじめに行った学校がミズーリ州はマーシャルというところ。真ん中より、ちょい右としか説明できない特徴も何もないその地にあったものといえば、広大にのびるトウモロコシ畑のみ。大学の飯は毎日、朝昼晩コーラとピザみたいな生活。僕が朝のアラームでなかなか起きないので、ルームメイトの2m級超大型黒人2人に毎朝

「ファックユー」的な言葉を浴びせられ続け、

「そーりーそーりー」と片言の日本語英語で応対する生活を続けていました。また、僕の学校は怠惰なスパニッシュ系や中国系の留学生が多かったので、「自分よりいい点がつかないレベルの中ぐらいの出来で、彼らの美術の課題や論文を仕上げる」という課題代行サービスで小銭を稼いでいました(笑)

留学生あるあるではあると思うんですが、最初の数ヶ月は異常なレベルで友達ができず、ホームシックと日本に対する恋しさから、部屋で「ONE PIECE」や「ハンターハンター」、当時流行った「半沢直樹」、「ジブリ作品」を全部観倒すという作業を延々と繰り返していた時もありました。

一日に一回は”日本の”映画やアニメをを英語吹き替えで見てれば、英語を勉強したからいいんだと自分に言い聞かせてました。

さてさて、山ととうもろこし畑で育ったたいと青年ですが、旅との出会いが人生を広げてくれます。

旅との出会い

アメリカ留学中の長期休暇は3ヶ月ちかくあり、旅をしたいと思った僕は旅人育成企画タビイクという団体のダイビングプランに参加すべく、タイに飛びダイビングのライセンスを取得。普段出ないアドレナリン的なサムシングがドバドバでるのを感じ、旅にハマりました。月並みですが日本の価値観をそこでぶっ壊され、日本の常識が世界の常識ではないことを思い知らされました。旅の中でのハプニングや不便がいろんなことを教えてくれ、「出会いの偶然性」と「行動すること」の大切さに気付き、その後の生き方が変わった気がします。

旅企画

大学では長期休暇の夏と冬にバイトしまくって旅にでるっていうスタンスで、大学2年の夏はベトナム、カンボジアと東南アジアを周り、次の冬にはチェコ、オーストリア、ハンガリー、トルコ、イスラエルをAirbnbという「現地の人の家に泊まらせてもらえるサービス」を使って周り、その次の夏はインドにインターン留学し、シェアハウスに3ヶ月滞在していました。そこでじゅんやさんという同世代の世界一周中の旅人に出会い、日夜ギャンブルに勤しみ、酒を呑んで呑まれて、挙句ひょんなキッカケからインドのローカルマーケットでカレーの屋台を運営したりしました。インドに3ヶ月も住んでいると観光するのも億劫になり、またもや純也さんと「なんかオトナの修学旅行的なのしたくね?」ってなって自らで旅企画を始めました。男女10人くらい集めて、インドの北西を旅する企画では、当時二人とも彼女がいなかったので、「あわよくば参加者と・・・♥」ってとか思っていたのですが、参加者の女子全員が彼氏もちパターンであえなく撃沈・・。冬はNYで年越し企画をし、32人で一軒家を借りてNYのカウントダウンをEnjoyしました。

↓NYカウントダウン企画

その後NYへ編入

時系列は少し前後しますが、東ヨーロッパ、中東の旅が終わった時点で、「待ってちゃダメだ!もっと自分からアクションを起こそう」と思って、NYに編入しました。始めこそ、NYでは「映画、アートとビジネスを学ぼう」と意気込んでいたのですが、大学での最初の授業で隣の席になった中国系アメリカ人のアマンダに恋をしてしまいました。NYで勉強を頑張ろうと思っていた矢先のアマンダの登場は予想外でしたが、今まで自身の大学生活に全く”恋愛”という概念がなかったこともあり、これもなにかの縁だと想い、とっさに大学生活のすべてのプライオリティを「アマンダと出来る限り長く話す」に置き、単位や授業や課題はそっちのけで、アマンダとの実践で使える英会話の勉強に励みました。ここでの半年の英語学習は、始めの2年とは比にならないレベルではかどりました。女性って偉大!!アメリカ留学で気付いたことは「恋愛は勉強に役立つ!」ってことと、「俺アジア人の女子好きやわ」ってことです。

(フェチ✖️プレゼンという会で「カタコトの日本語を喋るアジア人フェチ」っていうプレゼンをしたことについては、おいおい書いていこうと思います笑)

休学&ゲストハウスマネージャー

いろんなところを周った旅。アジアを弾丸で周ったり、トルコに2週間長期滞在してみたり、インドでインターンとして働きながら住んでみたり、旅の企画をして旅人を集めてみたり。テーマを変えながらも、「自分がなんで旅が好きなのか」、旅のカタチを模索しながらいろんなアクションを起こしてきた僕は、「旅も好きだが、旅人が周りにいる環境が好き」なんだってことに気づき、日本に帰ってゲストハウスをしたいと思い休学して東京に戻りました。もともと東京に友人も少なかったんですが、その数少ない繋がりを頼りに、帰国して1ヶ月のニート&ヒモ生活を終え、幸運にも東京の水道橋でゲストハウスのマネージャーを譲り受ける機会があったので、そこに住みながらゲストハウス日本にくる数多くの旅行者を迎え入れる場としての空間を作り、働いていました。たくさん働いて働いて、オーバーブッキングであまりにもゲストが増えすぎると自分の部屋まで明け渡して、ネカフェや友達の家に泊まりに行ったり、その辺の公園やゲストハウスのロビーに寝たりするという身の削りようでした。

↓水道橋ゲストハウスCARAVAN

インバウンド観光事業 Hoteling

ゲストハウスの仕事をくれたとあるベンチャーと学生でありながらインバウンド(訪日観光客向けの)ビジネスを手がける近藤に出会い、彼の「日本を世界一の観光立国にしよう」という壮大なビジョンに脳みそがスパーク。彼が生んだHotelingという学生チームで、休学の一年は日本にいながら旅人をもてなす観光事業に捧げることに決めました。Hotelingの主な事業は 民泊代行、ゲストハウス運営、ツアー事業の3つ。僕がヨーロッパや中東で使っていたAirbnbというサービスが日本ではまだ広がりたてということで、たくさんの物件を外国人が泊まれる場所にすべくAirbnbの代行サービスを推し進めました。当時、このHotelingの学生チームで主に全国の一人暮らしの大学生の家をターゲットにAirbnbを100件ほど運営しながら、不動産からおりてくる六本木や恵比寿、原宿や浅草、築地といったの高級物件をみんなで管理していました。

また、宿泊のサービスに加えて、外国人たちの観光をサポートしようと東京を中心にツアーを行っていました。最初に人気の出たツアーが築地のマグロの競りを見に行くもので、そのツアーの予約が入ると早朝の1時には築地に赴いてツアーをしました。朝が苦手な体質なのでかなりの重労働ではありますが、基本的にゲストさんが寿司を奢ってくれたので、高級寿司をタダで食えるという贅沢でスペシャルな特典に加え、築地の歴史についてめちゃめちゃ詳しくなれる、築地のスタッフと仲良くなれるってことが僕の眠気を吹き飛ばしていました。

↓ チームHoteling

タビイクにJOIN

それまで順風満帆なHotelingでしたが、旅館業法や政府の規制などの関係で、結局Airbnbを継続することが困難になりました。と同時にインバウンドに従事してきた中で、僕の中にあるジレンマが生まれます。僕がなぜ旅を好きになったかと言うと、旅の中で起こるハプニングや偶然の出来事がいろんな出会いを生んだり、ひらめきをくれるって気づいたから。それなのに、ツアーやゲストハウスで外国人が快適に観光ができる様にこちらが丁寧にツアーを用意すること、これは僕が本当に目指してた”旅”のカタチなんだろうか。そんな疑問が浮かび上がり、僕はやはり”旅行”ではなく、用意されてない”旅”に関わりたい、と言う気持ちが芽生えました。また、インバウンドで外国人をターゲットにするのではなく、自分自身が海外に行って感じた経験を他の人にも感じて欲しいと思い、やはり日本人が海外に行く手助けをしたいと言うことで、学生支部の募集があったタビイクに舞い戻り、今度は運営側として携わることに決めました。

休学2年目に突入

そうこうしてるうちに、タビイクで自分も引率スタッフとして海外を飛び回れるようになり、一時帰国のつもりで帰ってきた東京にも愛着がわき、復学のタイミングを完全に逃しました。もともと一年の休学と公表していたので、東京のみんなにもゲストハウスのみんなにもお別れ会をしてもらったにも関わらず、今現在もいけしゃあしゃあと東京に居座ってるって状況です。

タイミングを逃したからには東京ですることを探さないといけないと思い、友達のバーに行ったところ、

「土曜日あたしのバーの店長してくれる人探してるんだけど、どう?」

と言われ、2つ返事で承諾。

現在は、新宿の旅Barあちゃあちゃで土曜日限定のバーの店長をしています。

そして、NYの大学を休学してからも、アートや表現活動には未練が断ち切れないままでいるので、「旅×表現」に着目して、「ミニマリズムを提唱する手ぶら旅」や「インドの生活を伝える一日インドチャイ屋台やってみた」など自分なりのメッセージを持った表現をしながら旅をしています。日本でも旅×アートをテーマにしたイベントを開催予定。

今後

将来は、NYに戻ってアートマネジメントを勉強した後、日本でアーティストインレジデンスという、アーティスト達が一つ屋根の下に住みながら、創作活動に励む拠点を作りたいです。

地方の自治体と協力して、芸術を使った地方創生を達成しつつ、アーティスト支援ができる場を作って、そこが街の交流の場となる空間を作ります。

とまぁ長くなりましたが、ざっとこれが僕の自己紹介です。

これ結構大事なんですが、言われて一番嬉しい言葉は「クズですね(失笑」です。笑

ハンバーガーとチョコが好きです。

地球最後の日に恋人と母親どちらに会いに行くかって言われたら、慌てず、とりあえず亡くなる2人を想って家の中で追悼のチョコを噛み締めます。

好きなことと人に囲まれて、嫌いなものは嫌いでありたい。

怠惰で自分勝手なのは重々承知ですが、人間らしくシンプルに生きていきたいって思ってます。

これからもブログ頑張りますので、どうか生暖かい目でごらんください。

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たいと

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手作りのオーバーオールで放浪する手ぶら旅人。2018年夏〜世界一周手ぶら旅予定。旅×表現をテーマに脳内をアウトプットします。