渡米?うつ?インドで屋台運営?退学からのニート生活?行き当たりばったりな僕の人生。

自己紹介

名前:勝俣 泰斗(かつまた たいと)

  • ♂生年月日:1995年2月12日
  • 生まれ:神奈川県藤沢市
  • 育ち:宮崎県(5~18歳まで宮崎)
  • 高校卒業後:米ミズーリ州の大学入学→1年半後NY美大編入→1年後退学・・
  • 東京生活1年目:東京でゲストハウス・インバウンドツアー・Airbnb運営
  • 東京生活2年目:東京でイベントしたり、バーしたり、旅したり
  • 再入学:NYの大学に戻り、美術史を勉強中
  • 現在:NYでHOTDOG TIMESという団体を立ち上げ、シェアハウス準備中(⇦今ここ)
  • 特性:自堕落、妄想癖、出っ歯、人見知り、ピーターパン症候群
  • モットー:『行き当たりバッチリ

勝俣泰斗の生態&トリセツ

僕は今のところ、こんな人間です。

勝俣泰斗のぼうけんのしょ

「ぼうけんのしょ」と題して、僕のこれまでのストーリーを書いてみたいと思います。

生誕直後からざっと振り返ってみようと思います。それではいってみよう!!

幼少期『元気な反面、泣き虫だった子供時代』

なんのポーズなのかは謎w

公園を走り回ったり、自転車を乗り回したり、外での遊びが大好きな子供でした。その反面、小学校低学年の時は病気がちで良く病院に。中耳炎、喘息、両足骨折、じんましんなどあらゆる病気にかかり、さらにはおねしょがなかなか治らず、毎朝泣いて家族に迷惑ばかり。あんまり泣くもんなんで、母が「あの坂本龍馬もおねしょを良くしてたらしいから大丈夫よ。」と励ましてくれてからは、気を良くしてむしろ大胆におねしょを繰り返していました。

思春期『ないモノを自分で作り出す楽しさを知った』

寮生活。24時間一緒に過ごした仲間。ACミランのユニフォームが僕。

中学高校の6年間はド田舎宮崎の山奥の学校で寮生活

山のてっぺんにある学校で、コンビニに行くにも山をくだって往復1時間半。自転車で行っても行きは早いのですが、帰りの坂がキツいんで、結果1時間半という、どうしようもないとこでした。TVもゲームもパソコンもケータイも禁止の厳しい寮で、定期テスト終わりには「ぱーッとカラオケでもいこうぜ!」なんて事にはならず、

たいと
ちょっくら裏庭に柿取りいこうぜ

と、”柿をとりベランダで干し柿にする”というのがテスト後の楽しみでした。稲刈りをした後のわらでわら草履を作ったり、竹を切ってきてそうめん流しをしたり。中学2年の時にノリで作ったダンスユニット『BAKAXILE:バカザイル』(写真上)は結局高3まで続けて、謎に後輩の代にも受け継がれました(笑)卒業したときは友人と「刑期満了おめでとう」と言い合うくらい過酷な場所でしたが、『ないモノは自分で作り出す』楽しみを知りました

▼高校の経験をもとに、竹を切ってそうめん流しをしたイベント
▼高校時代の厳しい寮生活を書いた全力エピソード集

地元。五ヶ瀬。

モラトリアム期『受験を前に逃亡!脱パン(脱ジャパン)を決意』

コツコツ受験勉強するのが苦手で、高校3の時の成績を示す五角形のグラフがこの上なくいびつで、世界史だけ以上に長いという、いわば方位磁石みたいな形をしていました。「これじゃどこも受かんねー」と開き直った僕は、進路相談室に行き担任の田中先生に自信満々で成績表を持っていきました。

たいと青年
先生!ご存知の通り、僕の成績は到底日本の大学に受かるものではありません。しかし、このグラフを見てください。これは成績を表したものではない。このいびつな五角形(方位磁石)は東の大地、つまりアメリカ大陸を差しているのです!!
田中
・・・。いや、おまっ・・
たいと青年
つーことで、アメリカ行ってきまーす^0^)/

写真はイメージです。

ちなみに、田中先生に「うちは進学校だから、せめて英語だけで受験できる国立大学を受けとけ」と言われて、しぶしぶ受けた大学には全て落ちましたw

アメリカ留学期『初めてのうつを経験』

大学受験から逃げるように飛んだアメリカ。

ハリウッドで見たような輝かしいアメリカをイメージしていた僕は驚愕しました。僕がはじめに行った学校がミズーリ州はマーシャルというところ。真ん中より、ちょい右としか説明できない特徴も何もないその地にあったものといえば、広大にのびるトウモロコシ畑のみ。2m級超大型黒人2人とのルームシェアで、大学の飯は毎日、朝昼晩コーラとピザみたいな生活。

僕が朝なかなか起きないので、鳴り続けるアラームにキレたルームメイトに「ファックユー」的な言葉を浴びせられ続け「そーりーそーりー」と片言の日本語英語で応対していました。

1年間異常なレベルで友達ができず、完全にうつ状態に突入

会話がうまくできない自分がストレスで人とのコミュニケーションを避けていました。英語が下手って思われることが嫌で、いつも周りにバカにされてる気がして、どんどん人から遠ざかっていきましたごはんを食べても、すぐリバース・・・。ついに食欲がなくなり、学校がない日はずっとベッドの上で寝たきり。日本のアニメやドラマだけが唯一の楽しみで、ジブリ作品やワンピースを延々と観ては、号泣してました

旅との出会い『ある人の言葉に人生を変えられた』

今まで、人の目ばかり気にしていて、本気を出して失敗するのが怖いからいつも中途半端。他の人が楽しそうにするのに嫉妬ばかりしていて、本当は自分も楽しみたいのに、その気持ちを押さえ込んで、興味がないフリをしていました。

斜に構えていた僕は「本気で何かをすることがダサい」っていう考えが脳内にこびり付いていて、純粋に楽しむことに抵抗を持ってたんです。今思えば、そっちの方がダサいって自信を持って言えますが、僕はそんなことに気づけなかったんです。

大学の夏休み、「どこか遠くへ行きたい」と思った僕は、旅人育成企画タビイクという団体の旅企画に参加してタイに行きました。そこで、初めて旅の面白さを知りました。普段出ないアドレナリン的なサムシングがドバドバでるのを感じ、アメリカの大学で押さえ付けられていた自分が解放されるようでした。

そこで一緒に旅したメンバーとも打ち解けて、久しぶりに人と話すのが楽しいと感じました。南の島での夜、静かなビーチでいろんなことを話す中で、その旅を引率してくれていた3才年上のしゅうへいさんという方が僕に向かってこんな言葉を放ちました。

『俺は自信を持って今が一番楽しいって言えるし、これからももっと面白くなる。お前の人生なんかより絶対良い人生を送るから』

忘れもしません。この言葉に今まで持ってた価値観をぶち壊されたんです

今が一番楽しいって自信を持って言えるか?

・・・僕は言えませんでした。

だから、堂々とそれを言える彼がカッコいいと思いました。そこで「もっと楽しんで良いんだ。自分から楽しもうとしてもいいんだ。」という当たり前のことに気づかされました。

旅企画の後、僕は東南アジアを周遊しました。旅先のハプニングや不便がいろんなことを教えてくれ、「出会いの偶然性」「楽しむ気持ち」の大切さに気付き、旅にどハマりしました。その年の冬にはチェコ、オーストリア、ハンガリー、トルコ、イスラエルをAirbnbという「現地の人の家に泊まらせてもらえるサービス」を使って周り、旅の経験を積んで行きました。

フルムーンパーティ/パンガン島

インドでカレー屋運営&旅企画自主開催『”オモロイ”は自分で作り出す』

旅から帰った僕は、完全に鬱から脱却して、アメリカ生活も楽しめるようになりました。

環境に文句を言う事もやめて、「もっと自分からアクションを起こそう」と思いたち、ミズーリ州からニューヨークの大学へ編入し、興味のあったアートを学ぶことにしました。夏にはインドにインターン留学し、”Innerchef“というインドのスタートアップベンチャーで毎日広報の仕事をしたり、営業をしたりしました。

インドでの滞在は、デリー近くのシェアハウスに3ヶ月お世話になり、そこでいろんな旅人や日本人起業家と出会い、仕事と両立して、日夜ギャンブルをしたり、現地のチームでサッカーをしたり、毎日が充実していました。

シェアハウスに滞在中には、「何か面白いことをしたい」と思い立った僕は友達とインドのローカルマーケットでカレーの屋台の運営をしました。

インドでカレー屋台を運営

数日後、またもやその友人と「なんかオトナの修学旅行的なのしたくね?」ってなって自らで旅企画を始めました。男女10人くらい集めて、インドの北西を旅する企画では、当時二人とも彼女がいなかったので、「あわよくば参加者と・・・♥」ってとか思っていたのですが、参加者の女子全員が彼氏もちパターンであえなく撃沈・・。

とはいえ、インド留学とカレー屋台運営、7日間の旅企画は、「自分から行動を起こすことの面白さ」に気づけた原点とも言える旅。それから今後イベントや企画を開催するようになりました。

インド旅企画

アマンダとの恋。まさかの退学処分

NYの大学に編入して2学期目。僕は恋をしてしまいました

大学での秋学期最初の授業で隣の席になった中国系アメリカ人のアマンダに一目惚れ。今まで自身の大学生活に全く”恋愛”という概念がなかったこともあり、アマンダとの出会いは脳みそを揺さぶられるくらいの衝撃でした

僕は大学生活のすべてのプライオリティを『アマンダを落とすことに切り替え、単位や授業や課題はそっちのけで、アマンダとの実践で使える英会話の勉強に励みました

アマンダと同じ授業の日が週に2回しかなかったので、そこから逆算して何度もデート誘い、ブロードウェイの「アラジン」を観た帰りについに告白!

・・・そして付き合うことになりました!アマンダを落とすための英語学習は、始めの2年とは比にならないレベルではかどりましたw 

たいと
恋愛は勉強に役立つ!女性は素晴らしい!

しかし、それから僕の人生は思ってもない方向に転がります

アマンダと付き合い始めてから、彼女に会うためだけに学校に行くようになりました。勉強が手につかなくて、他の授業に全く出なくなり、完全に学校生活を放棄しました

留学生の場合、アメリカの大学は一定の単位を取り続けないと学生ビザが切れて、アメリカに滞在できなくなります。頭の中では「今のままではやばい。」と思っていたんですが、焦り始めた時には時すでに遅し。授業を受けようと思っても全くついていけない所まできてしまいました。そこで僕はあることを思いつきました。

たいと
休学するしかない。退学させられる前に、自ら休学すれば退学を免れる。

それから僕は休学に向けて猛烈に準備を始めました。今までの浮かれていた気持ちを入れ替え、休学を前提にどうやって日本で暮らしていくかを考えました。親に死ぬほど頭を下げて事情を説明し、後付けの理由をいくつも積み重ねて、僕は休学届けを出しに行きました

結局期末テストも全く受けずにそのまま冬休みに入りました。するとこんなメールが・・・

あなたの成績は大学で要求される基準の成績GPA2.0を下回りました。あなたの秋学期のGPAは0.94です。

したがって、残念ですがあなたは退学です

1年後に再受験を申し込むことができます。

たいと
・・・・ え?退学?締切前に休学届を出したはずだけど???

・・・僕は退学になりました。

たいと
1年後に再受験すれば戻れんなら、もう一回入り直してやる。休学も退学も変わんねえよ。

ってことで、休学したんだか、退学したんだか、よく分からない状態で僕はアメリカを発つことにしました。(最終的には再受験して復学する予定だったし、現に今復学したんで、周りには休学したと言ってますw

遡ればアマンダと恋に落ちたが故の退学・・・。恋は人を狂わせる!これは教訓です

ニート生活開始『社会の後ろ盾がなくなった』

休学して最初にしたこと。それはニューヨーク年越企画です。インド旅企画の時に参加してくれたメンバーからの要望で、もう一度開催することにしました。世界一周中の学生や社会人、留学生など計32人の参加者を集めて、タイムズスクエアで年を越しました。これがその後毎年続く海外年越企画の最初の一発目です。

NY年越企画

NY年越企画は僕の方向性を決める決定打でした。

今までの僕はテーマを変えながらいろんな旅をしてきたのに対し、ニューヨークの年越企画は自分はニューヨークに住んでいてホストとして旅人を呼んだだけのイベントだったんです。それなのに旅をしているような感覚になれました

たいと
そうか!僕は旅人が周りにいる環境が好きなんだ!

僕は「常に旅人が周りにいる環境を作ろう!」と思うようになりました。それから日本でゲストハウスをすることを決意

年越企画の後、日本へ戻りました。

とはいえ、ゲストハウスをしたいと言っても何から始めたら良いか分からない・・・。

帰国してしばらくして、遠距離が原因でアマンダとも別れることになり、定職にもつかず、家もない。社会と完全に切り離された存在になってしまいました。もともと東京に知り合いもいないので、卒業後関東に出てきた高校の友達を頼りにニート&ヒモ生活を送りました。

ゲストハウスのマネージャーに。『夢中になれるものが見つかった』

ゲストハウスマネージャー時代

2ヶ月経って、ようやく芽が出ました。学生でありながらインバウンド(訪日観光客向けの)ビジネスを手がける近藤くんに出会い、彼が掲げる日本を世界一の観光立国にしよう」という壮大なビジョンに脳みそがスパーク日本での1年間は、彼が創ったHotelingという学生チームで観光事業に捧げることに決めました

そして幸運にも東京の水道橋にあるゲストハウスがマネージャーを探していたので・・・

たいと
ここで働かせてください・・・・!ついでに部屋もください。そして給料もください!

と、千と千尋の湯婆婆もビックリな図々しい願いが受け入れられ、家と仕事を同時にGET!そこに住みながら、国内問わず数多くの旅行者を迎え入れ、交流の場を作りました。たくさん働いて働いて、オーバーブッキングであまりにもゲストが増えすぎると自分の部屋まで明け渡して、その辺の公園やゲストハウスの屋上に寝たりするとほど身の削りよう。毎日必死でした。

ゲストハウス以外に、Hotelingでは当時流行り始めていた 民泊(Airbnb)の代行とツアー事業をやっていて、営業やイベントなど足を使って動きまくりました。ツアー事業は、外国人向けに東京を着物で廻ったり、築地のマグロの競りを案内したり。

いろんな国からのゲストと出会うことで、常に周りに「旅人がいる状況」を作ることができました

水道橋ゲストハウスCARAVAN

1年経ったので復学!のはずが・・・『タイミング逃したw』

アメリカを退学になって(休学して)1年。もともと再受験してアメリカに戻る予定だったので、東京のみんなにお別れ会までしてもらいました。

しかし・・・そのタイミングで僕の人生を変えた旅のきっかけにもなった「タビイクが学生支部を立ち上げた」という話が。

たいと
人生を変えられたタビイクにどうしてももう一度関わりたい。そして今度は僕が与える側になりたい

一方で、

たいと
あぁ、でもここで再入学しなかったら、もう大学卒業しないかもなぁ。

そんな対立した気持ちがぶつかります。

そこで僕は一世一代の決断をする!!!訳ではなく、決断にモタモタしていたら、復学のタイミングを完全に逃しましたw

結局、復学を蹴ってゲストハウスに住み続けたまま、タビイクの学生支部の2期生としてJOIN形になりました。

入ってからは、仲間と一緒にそれまでなかったタビイクの国内旅企画「ぶっタビ」を作ったり、「タビ飲み」というイベント企画の運営をしたり。そして、ついに海外旅企画の引率まですることになりました。

3年越しのタイ。今度は自分が引率。

⬇︎タビイクインド回ムービー

ゲストハウス解散『再びホームレスに・・・』

順調だったHotelingとゲストハウスは、Airbnbの法律の規制が理由で撤退することになりました。ゲストハウスもなくなり、僕は再びホームレスに・・・

当時のTwitter

すると、中野で旅人が集まるシェアハウスを運営しているシャンディさん@Shandy_Life)という方が連絡をくれて、中野に住めることになりました。

なんとかホームレスは免れたと思ったんですが、今までタダで住んでいた上に給料ももらっていたのに、今度は家賃を払わないといけません・・・。流石に仕事しないとやばいと思い、残っていたツアーの仕事をやったり、キャバクラのボーイのバイトをしたりとなんとか新しい生活を始めることになりました。

バーの店長に!『旅人が集まれる場の復活』

そんな中、ある日友達のバーに行くと、

「土曜日あたしのバーの店長してくれる人探してるんだけど、どう?」

と言われました。カクテルの作り方も知らない僕でしたが、2つ返事で承諾。新宿の旅Barあちゃあちゃで土曜日限定のバーの店長をすることになりました。

旅Barあちゃあちゃ

旅Barでは知り合いの知り合いの繋がりでいろんな人と出会えたり、別々のところで会った友達同士が出会う場を作れたり、旅先で会った人の再会の場所になったり。僕が酔っ払ったらお客さんがお酒を作ってくれたり後片付けをしてくれたりと、みんなに支えられて楽しく営業できました。

ブログを始める『もっと自分を表現したい!』

2017年の夏になると、またタビイクの海外引率で数ヶ月以上家を空けたりすることもあるので、シェアハウスは結局2ヶ月住んで退去することに。

海外引率として行ったアジアの旅の後、「久しぶりに一人で自由に旅がしたい。」そう思って、アジアを周りながら旅の楽しみ方を突き詰めることにしました。そして、香港に滞在中にこのブログを始め、自分を表現することにしました

「旅はもっと簡単だ」と伝えたくて、『ミニマリズムを提唱する手ぶら旅』と題して2ヶ月間手作りのオーバーオールで手ぶらでアジアを回る中で、原点に戻って”インドの生活を伝えるためにインドチャイ屋台をやってみたり、ドレッドヘアにしてみたりしました。

インドでやった1日限定チャイ屋さん

しかし、旅の途中でスキミングにあってしまい突然マカオで一文無し

途方にくれた僕はある決断をしました。

たいと
こうなったら、もうカジノで一発当てるしかねぇ!!

速攻、polcaでクラウドファンディングしてカジノの軍資金を調達しました

クラウドファンディングで集めたお金でマカオのカジノ旅

前から得意だったブラックジャックで8000円を130,000円に増やし、なんとか旅を続けることができました。

マカオのカジノで大勝。助かった・・・・w

それからどんどん南下して旅を続けようと思ったんですが、タイでダイビングのアドバンスライセンスを取った際に左耳の鼓膜が破裂。激痛のあまり急遽帰国しました

アップダウンが激しくて流石に疲れましたが、病院に行くと鼓膜は自然治癒するらしいと聞いてほっておいたら3週間ほどで完治。体も強くなったみたいですw

帰国後は、不定期にイベントを開いたり、土曜日はBarの店長をしながら、また転々と移動する生活。日本にいても僕の荷物は最小限で、キャリーケース一個で生活をしていました

その後も、TABIPPOの世界一周コンテストに参加したり、カジノをもっと身近に感じてもらうための旅企画を開催したり、世界一周を考えるアイデアソンを開いたり、ドバイ年越し企画をしたり。思いつくまま気の向くまま。

しかし、僕はどこかで自分の力の限界を感じていました・・・。

再入学。『アメリカに戻ってジブンを磨きたい』

いろんなイベントをしたり、旅企画をしても、あくまで参加者は企画の面白さに左右されてくるということ。「僕」である意味が分からなくなったんです。

僕は専門分野もなければ、知名度もないので影響力がない。イベントやBarには友人繋がりで人が集まってくれはしましたが、より多くの人にきっかけを与えたかったし、集まるだけでなくて継続してクリエイティブなものを生めるコミュニティを作りたかった

そう思った時に人を巻き込めるほどの『個』の力が全然なかったんです

たいと
もっと楽しく、もっとクリエイティブに生きるには、勉強が必要だ。

そう感じて、2年の間がありましたがアメリカの大学に入り直すことにしました。

専攻は、以前大学にいた時と同じアート。旅をする中でもさらに興味を持つようになったんです。僕がこれから表現をして生きていく上でアカデミックなアートを専門的に学びたいという欲が大きくなっていきました。

これから休学する人へ「休学学入門」

現在

再入学しニューヨークに戻ってきた僕は今、アートを勉強しています。アートといっても、描いたり踊ったりする訳ではありません。

僕がしたいことは、『誰もが表現できる場』を作ったり、『もっとクリエイティブな生き方を見つけること』。だから、美術史とアートを取り巻くビジネスを学んでいます

大学の学びと同時進行で、自分の挑戦を続けたいので、今の最大の目標は『ニューヨークでクリエイターが集まるシェアハウスを作ること』。今リサーチを進めながら、仲間を集めています。

このブログでは、いま学んでいるアートや僕が好きな旅、そしてニューヨークでの挑戦を発信しています。

Start of Something New

さいごに

めっちゃ長くなりました!ここまで呼んでくださった方、本当にありがとうございます!

本当に人生『行き当たりばったり』ですが、周りの人たちのおかげでなんとか生きてます。怠惰で流されやすい僕ですが、シンプルでポジティブなマインドがあれば行き当たりバッチリだと思ってます。

人生は旅と一緒です。遠回りしたっていいし、立ち止まったっていい。過程を楽しむものなので、早く着くことが正解じゃありません

今まで下した決断が正しかったかどうかなんて分かりません。でも僕は全部後悔してません。生き方なんて綺麗じゃなくていいんだし

肩の荷下ろして人間らしく生きたい。好きなことと人に囲まれて、嫌いなものは嫌いでありたい。自分勝手で人に迷惑かけてばっかなのは重々承知ですが、感謝を忘れずシンプルに生きていきたいって思ってます。

これからもブログ頑張りますので、どうか生暖かい目でごらんください。

Special Thanks to Everyone!   Tripping Life is Going on!!   勝俣泰斗(@taito212