僕はTABIPPOの世界一周コンテストDREAMに応募した(前編)〜手ぶらで旅をする理由〜

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たいと

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手作りのオーバーオールで放浪する手ぶら旅人。2018年夏〜世界一周手ぶら旅予定。旅×表現をテーマに脳内をアウトプットします。

こんにちは。手ぶら旅人のたいと(@taito212)でーーす!!

さて、タイトルの通り僕がTABIPPOの世界一周コンテストDREAMに参加していることについて書くよー。いぇあぁ!!!先に言っとくけど長くなるかも汗

すでに、TwitterとかFacebookで言ってるから、Web投票して応援してくれてる人もいますね。スーパーウルトラ感謝感激です!

知らない人にも説明します。

世界一周コンテストDREAMというのをご存知だろうか?

DREAMとは株式会社TABIPPOが運営する『すべての学生に世界一周のきっかけを与える』プレゼンコンテストです。
世界一周を夢見る学生がその想いをプレゼンし、最も観客の心を動かした優勝者には、最優秀賞として世界一周航空券が贈呈されます。

2017年9月から全国で審査がスタートし、決勝プレゼンの舞台は2,000名以上の旅好きが集まるイベントのステージです。

その来場者による投票数の最も多かった人が優勝者となり、世界一周航空券が贈呈されます。

ーTABIPPOウェブサイトよりー

世界一周航空券が贈呈・・・・・、まさに夢のようなコンテスト。

僕は、実はこのコンテストに応募して、なんと1次審査を突破した!

晴れて2次審査に突入したわけなんだけど、次はWeb投票も審査に含まれる。

これにはみんなの協力が必要なんだ。だから、僕がどんな想いで、このコンテストに参加したのか、なぜ手ぶらで世界一周をしたいのかってことを伝えたい!

その前に、まず僕がどういう価値観を持っているのか

勝俣泰斗の原点

僕の話をしよう。僕は、幼少期から九州の宮崎で育った。12の時、親元を離れて山に囲まれた中高一貫の全寮制の学校に入学した。中高合わせて全校生徒が240人、全員が顔見知りで、同じ屋根の下で寝食を共にした。文字通り24時間。一緒に飯を食べ、一緒に風呂に入る。

いつも誰かが近くにいて、悩みも喜びも歯磨き粉も洗剤も、全部シェアした。

寮則は厳しく、ケータイもゲームもパソコンもテレビも禁止、外出は土日の午後13:00~18:00までのたった5時間だ。外出と行っても、周りには服屋もショッピングモールもなく、コンビニが50分先にあるだけ。中間テスト後の楽しみはもっぱら寮の裏の柿の木に登って、それをとってベランダで干し柿にすることだった。

友人
おい!たいと!!テスト終わったから、放課後”柿取り”にいこーぜ!
いいね!そろそろ行きたかったんだよ!いこいこ

(※みんなが伝わるように日本語で書いているが、宮崎の方言は外国語レベルで訛っているので、実際に僕らが発した言葉とは異なる。)

”中間テスト→”柿取り”。この思考はこの黄金ルート一択。

多分、僕らは”柿取り”を”カラオケ”かなんかと間違えていたんだろう。

こんな話をすると、よく言われることがある。

 
かわいそう

・・・・・・・・・・・・・・

いや、うっせーわ!笑

わかってる。わかってるよ。そう思うの!僕だって正直、「恋人と制服でディズニーに行きたい」とか「マックでハンバーガー食べながら友達と喋りたい」とか、普通の中高生ライフが羨ましくなることは多々あったもん。人間は無い物ねだりをする生き物だからね。

だけど、今思えばって話かもしれないけど、僕の感覚では思春期、青年期を過ごす上でこの上なく必要な経験だった。おそらく、他の卒業生も同じように感じてるんじゃないかな。

多分それは、僕らが「何もないまち」から、確実に「何か」を学びとったから。

僕らは「ないもの」じゃなくて、「そこにあるもの」にフォーカスした。

「ないから不便」「ないなら作ろう」に思考がシフトした。

毎年巡る季節に沿うように、田植えをし、稲刈りをして、収穫したら、そのわらで草鞋(わらじ)を作った。

暑い夏は、山から竹を切りだし、そうめん流しをして涼をとった。

収穫が終わった秋は、農家の家にホームステイして、農家の美味しいご飯を食べ、世代を超えて他愛もない話を楽しんだ。

都会に住んでる人なんかは、「えぇー!!今そんな暮らししてる人いるんだ!」って思うかもしれない。

いるんだよ!ここに。そして、僕の育った10代は”それ”が全てだった。

僕にとっては「ないこと」は当たり前。

僕にとっての「何か」は、「足るを知る」というベースの考えかもしれない。

このベースは「楽しみは作リ出すもの」という、今も続く根源的な衝動を生み出す燃料になる。

これが僕のアイデンティティ。

なぜ僕は世界一周コンテストに応募したのか

僕のアイデンティティはこれから僕が成し遂げたいことへの伏線なんだ。

だから、もうちょっと我慢して読んでほしい。

時系列で全て説明するつもりはない。中高の話がちょっと長くなっちゃったけど、高校を卒業後、僕はアメリカの大学に進学し、同時に旅にハマった。旅は僕の世界を急激に広げ、価値観を大きく変化させた。旅をしていなかったら、今のジブンはいないだろうし、正直今何をしていたかなんて想像もつかない。

そして今。僕は、世界一周コンテストの応募した。『荷物は軽く。心も軽く。ミニマリストの世界一周♫』と言うテーマでコンテストに参加したことには、大きく2つの理由がある。

一つは”旅”を広めたいから。もう一つは”ミニマリズム(足るを知る)”を伝えたいからだ。

急に出てきたミニマリズムって言葉の説明はあとでするね。

旅、そして、ミニマリズム。この2つは分けて書くけど、僕の中ではほとんど切っても切り離せないもの。

旅の魅力を伝え、旅がもっと簡単だということを表現したい

僕の最初の旅

僕は、旅に出てから自分の価値観がぶっ壊れた。マジで。もはや月並みの言葉だけど本当のこと。

そういえば、初めての一人旅で行ったタイで、バンコクに降り立った僕は今まで自分の中で合わせていた”日本”のチューニングを”タイのそれ”に合わせようと、歩いてタイのセブンイレブンで水を買ってみたり、近くのレストランに入ってみたりしながら、ちょっとずつ自分の神経に「自分は今タイにいるんだ」と言い聞かせてた。今思えばビビりだったね。

そんな臆病な僕の腕を掴んだトゥクトゥクのおっちゃんは、僕の中に流れてた”日本”の常識を無神経にぎゅっと捻って、無理やりチューニングを”タイ”に合わせた。そう、ギュイーーーンと。僕の中に脈々と流れてた日本のメロディは崩壊。でも気づいた。

それから僕は、待ってる必要なんてない!旅は自分で作るんだって!

最初の壁さえ突破したら、蓋を開けてみれば、偶然が積み重なった最高の出会いがあり、未知との遭遇の連続だった。

旅の魅力、そしてそれを伝える事

旅の魅力はここでさらっと言えるもんじゃないけど、それは旅先での出会いだったりとか、ハプニングが起こる非日常な刺激だったりとか、不便さから気づける人の優しさ、新しい発見とか、色々ある。それら全部含めて、予想もしてなかったことが起こる偶然性(セレンディピティ)が旅の醍醐味なのかもしれない。行った国には愛着が湧き、その国の出来事が”他人事”から”ジブン事”になる事も魅力の一つ。反対に外から日本を見つめ直すキッカケにもなる。

僕は、旅人が好きだ。今あげたみたいな経験やそこで感じた気持ちを共有できるから。

僕は好きな人を増やしたいのかもしれない。

そんな気持ちで今まで旅人を増やしたいと思ってきた。自分で旅企画をやったり、旅団体に所属して旅の引率をしたり。

でも、旅に出ない人にももちろんいる。不安が先行したり、お金がないだったり、一人旅なんて難しいって思っちゃったり。

旅に出ない人たち

日本人のパスポート保有率は24%だ。実は4人に1人しかいない計算。そして今保有率は減少しているんだ。

さらに20代の若者のパスポート”取得率”は、5%台。これだけグローバル化って叫ばれる今、旅に出ない若者は多い。

結構びっくりなんだけど、冷静に少なすぎじゃない??

理由はどうあれ、もしも「海外に旅に出るのが難しい」って思ってる人がいるんなら僕は言いたい。

旅をするなんて簡単だ。

前述の通り、僕も最初はビビってた。けど、いざ出てみると何に不安を抱いてたんだろうってくらい簡単。

誰だって旅に出れる。僕はそれを伝えたい。

ミニマリズムを伝え、本当の豊かさを探したい

もう一つ、僕が世界一周コンテストに応募した理由はミニマリズムを伝えたいから。

ミニマリズムってなに?

ミニマリズムって言葉に聞きなれない人もいるのかな。僕の定義をいうね。

ミニマリズムとは少ないもので豊かに暮らすこと。

最小限主義って訳される事もあって、単純にモノを減らしたりする断捨離とかと混同されたり、禁欲的な節約だと勘違いされやすいけど、そうじゃない。モノを極力少なくするのはそうなんだけど、それはあくまで手段。

ミニマリズムの本質は、「あれも欲しい。これも欲しい」っていう欲望のノイズをカットして、本当に必要なモノ、本質的なの豊かさを追求する事にある。

ミニマリストとはそのミニマリズムを実践する人のことで、僕もそう。ミニマリストだ。

モノが溢れているのに心が”豊か”じゃない日本

モノをできるだけたくさん買い集めることが、豊かで幸せ。今の当たり前の常識は、いずれ懐かしいノスタルジーになる。

自身がミニマリストで編集者の佐々木典士さんはこんな事を言ってた。

つまり、たくさんのモノを持ってるってこと自体が

懐かしいねー。そういや、あたしもモノ持ってれば幸せって思ってた時期あったわ。ウケる!今思うとアレ、ダッセーなー(笑)

ってなるってこと。

日本ほど豊かな国はない。よくそう言われる。物質的にはそうなのかもしれない。ただに日本人が精神的に”豊か”だとは思えない。

現に幸福度ランキングでは、日本は最低ラインだし、自殺率なんてダントツでトップというか、ワーストだ。

欲しいモノはなんでも手に入るはずの環境にいても、幸福度はあくまで比例しない。

じゃあ、本当の”豊かさ”ってなんなんだろう。

モノに所有される人たち

僕は、ニューヨークで年に一度ショッピングモールの全てのものが半額以下になる日『ブラックフライデー』を経験した。

人は前日から店頭に並び、自分の欲しいものを安く手に入れようとしていた。中には、

何を買うかは決まってないけど、とりあえずブラックフライデーだからアウトレットに買い物にいく〜!Come on Taito!!

とか言っている人もいた。

その日僕がエンターテインメントの中心、NYのタイムズスクエアを歩くと、別に欲しくもなかったヘッドフォンが欲しくなった。ふと振り返るとそこには大きなBeats(ビーツ)の看板があった。(※ビーツってイヤフォンの会社ね。)

その時、僕はハッとしたんだよね。知らない間に欲望が刷り込まれているって。もはや、必要なものを買ってるじゃなくて、知らぬ間にインプットされた「欲しいもの」をみて、急に欲しがり出すんだって。

これはやばいと思った。

映画ファイトクラブで、ブラピ演じるタイラーダーデンは「お前が所有しているモノに、いつかお前は所有される」と言った。

その通りだ。結局、一時的に湧いた欲求を消化したら、また次の欲求が湧き出るんだ。

それじゃあ、本当に自分が欲しいものってなに?本当にしたいことって?

服を買うことなの?車を手にすることなの?

僕は、本当の”豊かさ”を感じられない理由はここにあると思った。

ミニマリズムは新しい時代精神

人は足るを知る時だと思う。

もう十分満ち足りている。ほしいものは植えつけられるものじゃない、ノイズを遮断して本当にほしいものを探そう。過剰な消費をやめよう。

ブラックフライデーの日、僕は強くそう思った。大量に買いまくったモノを捨てて、身軽になった。そしてミニマリストになった。

部屋のモノも本当に必要なモノは意外と少なかった。収納用の棚だって、収納するモノがなければいらなくなった。

僕はすごく解放された気がしたんだ。

脱物質化の時代

モノがいらなくなった背景にはテクノロジーの発達がある。

物質的な”モノ”はどんどん無形化して、カタチのないものになっている。

僕が大好きな映画だってDVDなんてなくても、ネット上のNetflixやAmazonプライム、Huluで観れるし、本はKindleやiBooksでネット上で読める。

iPhoneの中にあった大量の音楽だって、最近ではクラウド上にあるものを聴きたい時に聴けるからダウンロードする必要すらないよね。すごいよね、普通に考えて。

さらには、現金としてのお金がなくても、Bitcoinやアルトコインなどの仮想通貨が貨幣の存在までカタチがなくなってきてる。

シェアを前提にした社会

そして、物質的な”モノ”との関わり方は”所有”から”シェア”に動いている。わかりやすいのがシェアハウス。家は何も一人で住まなくても、家賃を割ってみんなで住めばいい。家具もキッチンも冷蔵庫も共有して、なんなら晩御飯だってみんなで共有した方が単純に楽しい。

他にもカーシェアリングやシェアオフィスなど、あらゆるものの”所有”を手放すと意外と便利な事がある。

ミニマリズムはもう一過性のブームでもなく、新しい時代の流れだと思う。

資本主義が産んだ大量生産・大量消費社会の後に来る流れ。

消費は面白くない。生産する楽しみ。

ミニマリズムやシェアの考え方が広まると、それまで”消費”に使っていた時間とコストをカットできる。

何を買おう〜って言って、欲しいもんもないのにショッピングに行く時間。完全に無駄だ。

じゃあその浮いた時間とコストを何に使うのか。

僕は、”生産”に使いたい。言い換えればそれは表現活動だ。

何も表現活動っていうのは、絵を描いたり、ステージでダンスすることだけではない。

僕は、”消費”する側から”何かを生み出す側”になりたいだけ。

それは、このブログもそうだし、僕にとってはミニマリズムを伝える旅をすることも一つの表現活動だ。

旅×ミニマリズム=?

旅とミニマリズムはとっても相性がいいんだよね。

テクノロジーは物質的なモノを減らし、旅のハードルを下げた

脱物質化することでモノを持つ必要がないって言ったけど、それは旅では特に大事。荷物が重いと疲れるからね。

そして、”シェア”の文化の広がりは旅をもっと簡単にしてる。

今、高いお金を払ってホテルに泊まらなくても、Airbnbやカウチサーフィン(どちらも現地の人が自分の家を旅人に貸し出すサービス)を使えば、安価に、もしくはタダで宿泊が可能だし。

モノを持たない旅は、むしろ合理的だ。

身軽に旅できると、日本を見直せる。世界には日本より貧しく、”モノ”に恵まれていない国が山ほどある。ただ日本よりも”豊か”に暮らす国がある。

よく言われるのが、幸福度ランキング1位のブータン。国民の97%が「私は幸せだ」と言える国。

ミニマリズムをテーマに旅をすると、日本のあるべき姿を探せる気がする。

僕は、モノに溢れた豊かな国、日本を旅立ち、本当の豊かさを探す旅をしたい。

だから僕は手ぶらで旅に出る。

今思えば、”シェア”の考え方も、”何もない”から本質を探せるってことも、僕の中高時代からアイデアを得てる。

やっぱり無駄じゃなかったって思えたよね。

今まで経験してきたことは、僕の思考を作る上で、一貫したストーリーがあったんだって!

これが僕が手ぶらで旅に出る理由。長くなったね。とりあえず、一旦ここで筆を置こう。

続きは次回。次に書くことは、具体的にじゃあ『荷物は軽く。心も軽く。ミニマリストの世界一周手ぶら旅』でどんなことをするのか。そして、僕が世界一周から帰ってきてやりたいこと。僕の夢。そんなことを書きたいと思う。

僕の田舎育ちのアイデンティティは、最終的な僕の夢にまでも繋がっていく。

コンテストの投票をお願いします!!

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