【インタビュー】「モネのように生きたい」ニューヨークに住む19歳の美大生のこれまでとこれから。

Texted by 勝俣泰斗(@taito212

知ってほしい人がいる。

僕が彼女の作品を知ったのは、休学して日本にいる時。大学の友人の友人のつながりで、偶然Instagramで見かけたその作品は、タイムラインに流れる膨大な写真の中で、群を抜いて鮮やかで圧倒的な眩しさで視界に飛び込んできた。

先月初めてあった実際の彼女は、落ち着いていてとても穏やかなオーラをまとっている。しかし、話を聞くと止めようのない情熱を内に秘めていて、予想外のエピソードが尽きない。僕は彼女の話をどうしても記事にしたかった。時系列をおって。

インタビューの最中、僕はパソコンにメモを打ち込む手も止めていつの間にか聞き入ってしまっていた。


菊地伊織(Iori Kikuchi)
1998年東京都生まれ。神奈川総合高等学校を卒業後、SUNY Purchase(ニューヨーク州立大学パーチェス校)に入学。専攻はpainting&drawing。10歳の頃に憧れたモネに影響を受けて、画家を志す。先日、ニューヨークブルックリンのGreenpointギャラリーで期間限定で作品展示。

幼少期のアートとの出会い

ーー幼い時からアートが好きだったんですか?

はい。3歳くらいから絵を描いてました。一人っ子だったので、家でずっと描いてましたね。アートは家族もみんな好きで、母の実家にはピカソの作品のレプリカがあったり、レンブレントの絵があったり。おじいちゃんが旅人でいろんなところの絵を買ってきていたんです。そんな環境で育ったので、小さい時からアートはいつも身近にありましたね。

ーーすごい英才教育ですね(笑)自分が影響を受けた人っていますか?

クロード・モネですね。10歳の時にDSのゲームで「絵心教室」っていう美術史を交えながら絵を描けるソフトで遊んでたんですね。それが意外に本格的で。そこで、はじめてクロードモネの絵を初めて見たんです。そしたら、DSの画面上のモネの絵に惚れちゃって。

ーーちなみにどの絵ですか?

印象・日の出っていう作品です。その時は、モネの作品であることも知らなかったし、モネがどういう人かも知りませんでした。でも、子供ながらに直感的に「これが好きだ!」って思ったんです。

印象・日の出 / クロード・モネ

ーー本当に一目惚れだったわけだ。

はい。同時にこのゲームを通して、画家っていう職業があることも知ったんです。それから、モネがどうやって画家になったのかということに興味を持ち始めました。調べてみると、モネが結構有名な人だってことを知って(笑)実は印象派というジャンルの人で、彼の絵が今までの歴史を塗り替えるパワーを持っていたことを後から知ったんです。調べていくうちにもっと好きになりました。

アーティストってどこかクレイジーなイメージあるじゃないですか。でも、モネは意外と普通の人生を送りながら、絵で功績を残したんです。仕事として絵に関わる。こんなモネみたいな生き方がいいなって思ったんです。

ーーそれから画家になりたいって思うようになったんですね。

はい。ちょうど小学校のポスターコンクールがあって、入賞したんです。入賞商品っていうのがあって。商品と言っても数千円分の図書カードだったですが、それでも商品を貰えたことが嬉しくて、幼心に「私は絵で生きていける。」って思いました。

ーーその後は独学で絵を学んだんですか?

いや、小学校の時まではちゃんと絵を習ったことがなくて、図工の先生くらいしか教えてもらえる人がいなかったんですね。「画家になりたい」って言ってるのに、教えてくれる人が小学校の図工の先生だけって私のキャリア的にどうなの?って思ったんです(笑)それで親に頼んで中学にあがってから絵画教室に通わせてもらえることになりました。

ーーキャリア・・・(笑) 中学生の時からキャリアを考えるなんてしっかりしてますね(笑)どんな絵画教室だったんですか?

はじめに子供絵画教室に行ってみたんですけど、幼稚園児ばかりですっごくつまんなかったんです。お金を払ってまで通いたくないなって。もっと写実的な絵を描きたかったし、とにかくスキルを磨きたかったんです。そこで見つけたのがカルチャーセンター。定年後の高齢者が通う水彩画教室にいくことにしたんです。

ーーえ?その時12歳とかですよね?(笑)

はい。周りの生徒さんの平均年齢は75歳くらい。12歳で学んでる子は私だけでした。周りの人たちもめちゃくちゃ絵が上手くてびっくりしました。先生も東京藝大を出た現役の水彩画家。でも、先生は全く私のことを子供扱いしなかったんですよ。大人と同様に私に絵の技術を教えてくれて、分からないことを聞いたら教えてくれて。その環境が大好きで、隔週の日曜日にレッスンがあったんですが、この時間がいつもこの時間が楽しみでした。中学3年間通って、ここで本格的に絵の書き方を学ぶことができました。

菊池さんが描いた水彩のスケッチ

ーーカルチャーセンターで絵の技術が鍛えられたんですね。それから高校に入ったんですね。

はい。中学の最初に、親に絵で生きていきたいと話したら、「画家は将来も不安定だし、いつ挫折しても別の生き方ができるように勉強は絶対におろそかにしてはダメ」って言われてたんです。わたしは、「とりあえず成績がトップならいいんだろ」と思って、中学3年間は、どこの高校にでも入れるように成績トップを取り続けました。高校を選ぶ時になっても、画家になりたい気持ちとモネみたいに生きたい気持ちは変わらなかったんです。モネはフランス人でパリの大学を出ていたので、私もモネと同じ大学でモネが学んだことを学びたいと思いました。それで、フランス語が習える場所っていう理由だけで高校を決めて、進学しました。

「モネと同じ大学で学びたかった。」パリで知った衝撃の事実

ーーフランスの大学に行くために高校を決めたんですね。フランスには行ったことはあったんですか?

それまではなかったんですが、高校1年の春に成績上位者が2週間フランスでホームステイできるプログラムに選ばれたんです。それで、初めてフランスにいけることになりました。フランス語を学ぶプログラムだったんで、2週間の大半は田舎でのホームステイ。でも、最後の2日間のパリ滞在でモネの行った大学エコール・デ・ボザールにも足を運びました。

ーー自力で大学見学をしに行ったって訳ですね。

はい。でも、春休み期間中で残念ながら、その大学は閉まってたんです・・・。大学を見学することは叶いませんでした。仕方なく、大学見学は諦めて美術館を廻りました。

ーーもちろん、モネの作品を観に?

はい。その時に初めてモネの印象・日の出を生で見ることができました。

ーーおお。ついに、絵を描くきっかけにもなったあの作品を観ることができたんですね。

感動して涙が出ました。絵を見て涙が出るなんて初めての経験で。自分でも驚きました。それから2日間はモネのゆかりの地を訪ねたりして、パリ中を歩き回りました。

菊地さんが高校時代に作ったモネをテーマにしたフランスのガイドブック

フランスに行くことはできたんですが、でもまだ物足りなかったんです。そして、自分の中でも高2の夏までには大学の方向性を決めておきたいという思いがあったので、どうしても大学を見ておきたかったんです。それで、今まで使ってこなかったお年玉を使って、高2の夏にもう一度パリに行きました。

ーー今度はプログラムではなく自分で行ったんですね?

はい。留学会社に問い合わせて、フランス語とアートを学びたいけど、安い滞在方法を教えてくれと頼み込んで、エコール・デ・ボザールを卒業したアーティストのおばあちゃんの家にホームステイできることになりました。滞在費、渡航費込みで25万円くらいで2週間滞在することができました。念願の大学へも行けました。でも、大学の教授に「ウチは留学生枠がないので、日本人は入れない」と言われたんです。「大学院なら入れるけど、大学は日本にしたら?」って。

ーーええ?せっかく見学にまで行ったのに・・・。

本当にショックでした。私の夢はパリにあったのに・・・・って思いました。

ーーそれは辛いですね。それからどのように進路を変えたんですか?

日本の高校に通っていたので、当然日本の大学っていう選択肢もあったんですが、私は日本の大学には行きたくなかったんです。というのも、日本の美大は油絵、日本画、彫刻、というように入学する前からジャンルが分かれているんですね。私は技法を絞りたくなかったんです。その大学の教授にその話をしたら、海外の大学を勧められました。実は、その教授はフランス人で、パリの大学で教えているけど、大学はニューヨークだったんですね。他の教授もニューヨークの大学出身の人が多くて。

教授には「フランスは将来的に活動をする場であって、学ぶならアメリカの方がいいんじゃないか?」というアドバイスをもらいました。その後にパリで活躍しているいろんなアーティストもニューヨークで学んだ人が多いことを知って考え直すきっかけになりました。

もちろん、10歳のときあらモネに憧れて、モネの行った大学に行きたいと思っていたので、簡単には納得できませんでしたが、だんだんそこまでモネと同じ生き方をトレースすることに固執する必要はないなと思い始めたんです。モネの時代と今は違うし、20世紀以降、アートシーンの中心はアメリカに移っている事は分かっていたんで、今の時代でモネになるには、アメリカで学ぶ方がいいっていう考えに変わっていきました。

ーー辛いパリ旅行でしたが、方向転換するきっかけになったんですね。

はい。高校では英語も学べたんで、フランス語を辞めて英語に切り替えて、パリから帰ってきた高2の秋からアメリカの大学を目指すようになりました。

ーーそれで今に至る訳ですね。ちなみにニューヨークの大学はどうですか?

ここでは、ドローイング(絵画)専攻なんですが、他にも美術史、コーディング、3Dの授業などいろんな角度からアートについて学べます。色の配置の仕方、カメラを撮るときの構成の仕方など、違う分野の教授から自分のフィールドに関わることを習えたので勉強になりますね。

大学の寮に住む彼女の部屋

「綺麗に描くだけでは意味がない」模索して見つけた自分のスタイル

菊地さんが書いたデッサン

ーー菊池さんの作品に関して伺いたいのですが、人物の描き方やモチーフが独特ですね。どういう経緯でこのスタイルに至ったんですか?

高校2年生で2回目のパリ滞在までは、自分の画風がなかったんです。画家になるには、自分のモチーフがあって、それで訴えていかないといけないことは分かっていました。そんな時にパリのポンピドゥセンターという芸術文化センターのギフトショップで見つけた本がインスピレーションになったんです。

ーーギフトショップで見つけた本というのは?

数字がふってある点がいくつもあってそれを順番になぞると絵になるみたいな子供用の本知りません?それを興味本位で買ったんです。

1000 Dot-to-Dot Icons

ギフトショップで見つけた本

ーーこの本が今のスタイルのインスピレーションになったんですか?

この本で実際に点を繋いで絵を描くというのをやってみたときに、人を表現する方法っていろいろあるんだなって思って。それまでは、人を描くのが嫌いでだったんです。デッサンで写真みたいな絵を描いたところで、それくらい練習した人なら誰でも上手く描けるし。そもそも昔から貴族や偉人が自画像を描かせた意味って、威厳を示すためだったり、その人が生きた功績を称えたりするために画家に描かせたものじゃないですか。そういう”意味”みたいなものがないとポートレイト(人物画)を描く意味はないんですよ。ただただ綺麗に描いただけではダメなんです。

それがポートレイトを描くことを避けてた理由でもあるんですが、この絵本のように点をなぞって絵を描くとなんかステンドグラスっぽいなって思ったんですね。このステンドグラス風なタッチはその人物を神々しく描けたりするって気づいたんです。誰かを描くときはその人に対する尊敬を込めた絵にしたいというのは思っていたので、このスタイルを発展させれば自分の表現方法が作れるって思ったんです。

点を繋ぐ方法からヒントを得て描いた初期の絵。マリリンモンロー。

ーーなるほど。ステンドグラス風のタッチからヒントを得たんですね。

はい。そこから模索して、この絵本で何度も点を繋げて描いたものを、自分でも描いてみて。オードリーヘップバーンとかマリリンモンローといった偉人を題材にした本だったんですが、いつも見てる自分の好きな芸能人も描いてみようと思ってたくさん練習しました。影と影じゃないところを線で分けて表情をつける。最初はうまくいかなかったけど、1年くらい続けたらうまくなりましたね。

ーー菊池さんのポートレイトでは、人物だけでなく背景も工夫されてますよね?

背景はその人物にちなんだものを散りばめています。まずその人の大事なアイデンティティでもある名前を平仮名やアルファベットを変形させて色づけしたり。他には、描かせてもらう前に、好きなものや色、思い出をインタビューしてから、その人に対する像を頭の中で作った上で、コラージュして人物の周りに描いています。

背景には平仮名のモチーフが見える

パリからニューヨークへ。ニューヨークから日本へ。

ーーオリジナルの方法でポートレイトのスタイルを生み出したんですね。では今後のことを聞いていきます。これからどんな活動をしていくつもりですか。

実は、今学期を最後に一度日本に帰ろうと思っています。アメリカの大学を受けると同時に受けた日本のテンプル大学にも入学できるので、一度日本で大学に通います。

ーーえ?日本に?なぜニューヨークの大学を辞めてしまうんですか?

ニューヨークに来てみて思ったのは、学生としてニューヨークにいると活動が制限されるということ。学生ビザだとお金を稼ぐこともできないし、自分の絵を発信できる場が少ないんですね。ニューヨークに来てからずっとギャラリーには作品は送り続けています。500くらいギャラリーに作品を送ったけど、相手にしてもらえないんですね。国籍がアメリカでないとダメだったり、アーティストビザがないとダメだったりといった理由で。他にも展示に必要なデポジットとして1作品につき$1000(10万円)かかったり。留学生にとってギャラリーに展示するハードルは高いんです。

先日、ようやく私の作品を展示してもらえるギャラリーを見つけたんです。ブルックリンのグリーンポイントというギャラリーで一日限定で。でも留学生なので展示だけで、作品を買ってもらうことはできません。何度もトライしてようやく一箇所だけ展示することができましたが、マンハッタンの有名ギャラリーでの展示は厳しいですね。自分が持っているアートが受け入れられるか否定されるかも分からない状況で4年間もアメリカに滞在するのは正直きついです。今からもっとギャラリーに参加したいし、実績を積みたい。だから今は日本に帰ります。

ーー日本ではギャラリーの展示や作品を市場に出すことを意識して活動していくんですね。

はい。日本のギャラリーに出して実績を積みます。そして、仕事としてニューヨークやパリに再挑戦していきたいと思っています。

ーー日本での活動も楽しみにしています。今日はありがとうございました。

ありがとうございました。


実は、僭越ながら菊地さんに僕の絵を描いてもらった。それも2枚。

よく見るといろんなパターンで描かれた名前や『NY』の文字。僕が好きな旅をモチーフにした『LIFE IS JOURNEY』という文字も隠れている。これは僕の宝物になった。

菊地さん独自のステンドグラスのような絵。

別のテイストでも一枚。

インドのジャイサルメールの絵。おしゃれなタッチ。

追記

衝動的で情熱的な彼女の生き方には物語がある。

パリでエコール・デ・ボザールの入学を断念し、ニューヨークでギャラリーでの発表に苦戦した彼女は、そんなことは物ともせずにこれから日本を舞台に活動を続けるだろう。

しかし、夢を持ってニューヨークに来た学生の発表の機会が少ないというのは、残念なことだ。ギャラリーのハードルが高く、実績がないと発表の機会すら与えてもらえない現状。

イケダハヤト氏にも紹介されていた、ブロガーでアーティストの宮森はやと氏(@Miyamo_H )は代々木公園に住むホームレスのダンボールを4万円で買ってアート作品を作って話題になった。ギャラリーに出すだけが表現活動ではないことは宮森氏が実践済みだ。

志があり、才能のあるアーティストが機会を得られず認知されないのはもったいない。もっと知られるべきだし、もっと評価されるべきだ。メディアという形で何か彼女の活動の手助けができないか。僕の僅かな力ではどうにもならないかもしれない。この記事を書いたのは、それでも”知ってほしい”と思ったからだ。

 

⬇︎こちらで作品もチェックしてみてください⬇︎

菊地伊織さんのInstagram(kikuchiori
菊地伊織さんのアーティストホームページ

インタビュー&文:勝俣泰斗(@taito212
現場写真:Rin Otogurojan__sr
写真提供:菊地伊織