ボランティアなんて偽善なんじゃないの?

The following two tabs change content below.
たいと

たいと

ニューヨークの大学に留学中の23歳。 絵は描けないけど美大生。 『アートをもっと身近に』をテーマにアウトプット。海外生活や旅のことも書きます。 現在、ニューヨークでクリエイターの集まるシェアハウスを作るため尽力中。

こんにちは、たいと(@taito212)です。

アジアを旅したり、学生団体のイベントに行ったりすると海外での”ボランティア活動”をしたいと言う人によく会います。

海外ボランティア団体の人たちってざっくり2パターンいて、自分の経験としてやってる人(就活に有利だから等)と、本気で恵まれない国の人たちの役に立ちたいっていう人

今回は、そんなボランティアに対するオピニオン記事。(オピニオン記事とか書き出しちゃったよ・・・。なんかブロガーっぽい!)

まず、ボランティアについて語るために、僕が以前インドであった女の子の話をしますね

目の前で夢をバカにされた女の子の話

インドを旅している時にボランティアに熱心な女の子に会いました。貧困地域の女性の問題に本気で向き合っている人で、その人のボランティアに対する想いを聞くと、何も考えずに生きてる自分が恥ずかしくなるくらい本気な人でした。

ある日、インドの宿でその子と何人かで買ってきたご飯を食べていました。

夜も更けて、酒は進み、酔っ払った一人の男の人がこんなことを言ったんですね。

「てかさあぁ、ボランティアって偽善なんじゃないの?(笑)」

酔っ払っていた男のデリカシーのない一言。その女の子の表情に、一瞬ピリッとした空気が漂いました。

しかし、男の人は続けます。

「ボランティアなんてやる意味あるの?海外でボランティアするくらいなら、まず日本の問題に目を向ける方が正しいだろ」と。

完全に、彼女の活動を否定するようなことを言ったんです。

すると彼女は、何にも言わず席を立ってしまいました。

「なんだよ、あいつ態度悪いなぁ」と吐き捨てる男。自分の言動が軽はずみだったことには気づきません。

それを目の前で見た僕は、

「なんてひどい事を言うんだ!彼女は一生懸命夢に向かって努力してるんだぞ!お前は人のために何かをしてあげたことがあんのかよ!この子の夢をバカにするな!」

って”心の中で”思いながら、

「人の気持ちを踏みにじるようなことを言ったんだから、今すぐ謝れよ!!!おい!おぉぉぉい!!!」

っていう”表情を浮かべて””何も言わず”じっとしてました。(パンクブーブー風w)

はい。実際はというと僕は、彼女をかばうことも、男の人に物申すでもなく、ただただ彼女が立ち去るのを見守ってたんですが、この時ボランティアをする人の脆さみたいなものを感じたのは事実です。

僕は彼女に席を立ったのを見て、少し残念に思ったんです。

あの時僕が言えなかったことをつらつらと書いていきますね。

ボランティアに正しいも正しくもない

まずは、「ボランティアなんてやる意味あるの?海外でボランティアするくらいなら、まず日本の問題に目を向ける方が正しいだろ」っていう言葉に対して。

なんか釣りタイトルみたいになっちゃったんですけど、大前提として、僕のボランティアに対するスタンスを説明すると。

ボランティアに正しいもクソもない!

です。

実際にね。ボランティアをする人、過去にしていた人の中には、「ボランティアが正しいことなのかどうかが分からなくなった」っていう人がたくさんいるんですよ。

僕自身、休学期間中に学生との絡みが多かったんで、ボランティア活動に興味があるって学生の相談に乗ったことも何度かあるんですが、本気でボランティアをやりたいって思ってる人ほど、その本気さがゆえに”ボランティアの正当性”に悩み、ジレンマを抱えてたりする人が多いんですね。

「ちっぽけな自分一人の力じゃ何も変わらないことに気づいた」とか「結局自己満足のためにやってるんじゃないか」とボランティアを続けることに対する疑問を持つ人がいたり。

僕はボランティアって結局、信仰だと思うんですよ。

自分がボランティア活動をすることが(他者にとってであれ、自分にとってであれ)有意義であるってことを強く信じられるか信じられないかって言う話だと。

まぁ、ボランティアに限らず言えることですけどね。

”信じる”っていうのは、”思う”とは違います。不確かな存在を”思いたい”っていう気持ちであり、願望です。

確かに、「海外でボランティアなんかしてないで、日本の問題に目を向けろよ」って言われたら一理あるかもしれないですよ。

ただ、海外ボランティアと日本の問題を解決すること、この2つにどちらが正しいとかどちらの方が崇高だとは言えないし、他人が決めることじゃない。

結局自己満足のためになるボランティアはやらない方がいいのか。それでも続けた方がいいのか。一人の力じゃ世界は変わらないと諦めて別の道を探すのか、それを割り切ってでもボランティアを続けるのか。

そんなのどっちが正しいっていう絶対的な概念はなくて、自分が正しいと”信じる”方を選ぶしかないんですよ。

だから、ボランティアはあくまで個人の選択肢の一つ!正しいとかそーじゃないとかない!

これを大前提に考えると、まず一つ解決ですね。

注意①
ボランティアを信仰っていう言葉で表現しましたが、ボランティアが宗教であるという意味では全くないです。
実際、布教活動を社会への貢献活動であるとの観点からボランティアと称して、布教活動をする宗教団体もがありますが、そういったものとは関係ないです。
注意②
震災地域の支援の名目で被災地で窃盗を企てる偽ボランティア団体は悪です。実際にあるので注意!

※ボランティアに正しいも正しくないもない!って言いましたが、そういった悪い宗教団体や犯罪をする自称ボランティア団体は除いて、僕個人ではボランティアにものすごく関心があるわけではないけど、活動の本質は”良いこと”だと思ってるし、ボランティアを頑張ってる人は基本的に応援してます。

偽善でいいじゃん

「ボランティアって偽善なんじゃないの?」

って問いに対してですが、僕は

別に偽善で良くね?

って思います。

これは逆に、本気でボランティア活動に関わってる人ほど、”善意の有無”にこだわり過ぎてる気がするんですよ。

本気の学生団体が一生懸命集めた50万円を学校建設に使うのだって人の役に立つわけだし、どっかの企業のCEOが売名のために被災地に5000万円寄付したっていうのだって結果的に支援に繋がるんです。

「自分の中途半端な気持ちでボランティアに参加してるんじゃないか。こんな気持ちでボランティアを続けていいのか。」とか思う人、なんとなく気持ちは分かりますが、結果誰かの役にたてばいいんじゃないですかね。

ただ、”善意”の有無に関わらず、コミットすることは大事だと思いますよ?コミットが中途半端だと、支援される側が求めてないことをボランティア団体が勝手な判断で事業を進めたりする羽目になるので。(参考文献:ボクのおとうさんはボランティアというやつに殺されました

そもそも、善意ってなに?っていうところがあって。

誰かのために何かがしたいっていう人って、結局自己満だろって思ってるんですよね。

別にそれは悪い意味じゃなくて。

例えば、カンボジアに学校を建てたい!っていう人が、カンボジアに学校を建てることで、恵まれない子供たちが学校で勉強できるようになってほしい。カンボジアの教育を変えたい。って思ったとするじゃないですか。

変えたい!って願うのは自分自身な訳で、自分の欲求なんですよね。

例えば、彼女にプレゼントをあげて喜ばせたい。っていうのだって、結局は”あなた”が彼女が喜ぶ顔をみたいからやってるっていう極めて自己中心的なことなんですよ。

何が言いたいかっていうと、究極エゴが人を動かしてるってこと。

そのエゴがない人って、それこそ誰の役にも立たない人だと思うんですよね。

何をやっても自分のためってなるんだったら、”善意”なんてそもそもないって話ですw

はい!「ボランティアって偽善なんじゃないの?」に対する反論終了。

この短い記事の中で、ボランティアの正当性だけじゃなく、善意の概念まで消してかかろうとしちゃってますw

じゃあ、ボランティア団体が何をしなくちゃいけないかって言ったら、「”偽善はしたくない”。だからボランティアには協力しない。」っていう人をいかに巻き込むかなんです。そんなの関係ないんですから。

むしろ、そんなにボランティアに熱心でない人、他者貢献をするほどの動機がない人を巻き込むにはどうすればいいかを考えるべき。

これが善意なんかより、大きい問題なんです。

だからこそ、僕はインドで女の子が席を立った時に残念に思ったんですね。

「君がこれから向き合っていかないといけない問題が目の前にいる!そこに背を向けたら負けだ!逃げちゃダメだ!(エヴァ風)」ってね。

ボランティアを志す人は、気持ちだけじゃ動かない人の存在をちゃんと受け止めるべきです。そして、その人たちの動かし方を考えるべきなんです。

偽善者を作れ。巻き込め。マザーテレサの話

ボランティアって”自分から進んで社会活動に無償で参加する人”って意味なんで、どこか「自己犠牲」っていうイメージあるじゃないですか。

ただ、ボランティアに圧倒的に必要なのって、ビジネス的なマインドなんです。

コルカタで貧しい人たちのための活動を続けたマザーテレサのこんな話があります。

マザーテレサの話

インドでのマザーテレサの献身的な活動が認められ、時のローマ法王は300万円もする高級車「ロールスロイス」を感謝の意味も込めて送りました。

ノーベル平和賞の賞金も貧しい人たちのために寄付した彼女ですから、ロールスロイスも売って、そのお金を寄付すると思うじゃないですか?

違うんですね。

マザーテレサは一歩先を行きます。

彼女は、そのロールスロイスを商品に「マザーテレサ宝くじ」を作ったんです。一枚3000円で売り出した宝くじは飛ぶように売れ、結果的に元の5倍にした金額を寄付したそうです。

この感覚すごくないですか?

宝くじに参加することで、寄付っていう活動をエンターテイメント化した上に、より多くの寄付金を集める。彼女のビジネス的な手腕にもびっくりです。

別に、宝くじを買った人は全員が全員、自ら寄付をしようと思う奉仕精神のある人ばかりではないと思うんです。

そういう意味では、”寄付をする動機”に善意はない訳じゃないですか。(善意って概念消しちゃったから説明めんどくさいけど、一般に言われる善意ね!誰かのためになりたい的な気持ち。)そういう意図でくじを買ってないと思うんですよ。

でも、結果的に誰かの役に立つことをしてしまっている状態を作り上げた訳です。

彼女は、偽善者を作って、活動に巻き込んだんですね。

まとめ

「ボランティアって偽善なんじゃない?」ってやり取りに色々考えさせられました。

今回の話をまとめると。

ボランティアは選択肢。正しいも正しくないもない。

偽善でもいい。そもそも本当の意味での善意なんてものはないw

ボランティアに必要なのは人を巻き込む仕組み

結局、女の子が席を立ったあのインドの宿で、僕は男の人になんと言えばよかったのか、女の子になんと声をかけてあげればよかったのか。そんなことは、僕にもよく分かんないです。

でも、「ボランティアなんて意味ない!ボランティアなんて偽善だ!」

って言ってた男の人が、自分の気づかないところで、無意識のうちに発展途上国の誰かの役に立ってるような仕組みを作れたら、面白いなって思いました。

まとまらないけどまとめです。おしまい。

よかったらはてブしてくれると喜びます

ABOUTこの記事をかいた人

たいと

ニューヨークの大学に留学中の23歳。 絵は描けないけど美大生。 『アートをもっと身近に』をテーマにアウトプット。海外生活や旅のことも書きます。 現在、ニューヨークでクリエイターの集まるシェアハウスを作るため尽力中。